畑順男

戦後の教育を受けた皆さんは満蒙開拓青少年義勇軍とはなんであったか、当時それが国の方針であったにもかかわらずほとんど知らない.何故なら小。中、高校のどの教科書のどのページにも記載されていないからだ。そこで80数年過ぎた今このことを正しく認識していただくために義勇軍の誕生のあらましを述べてみたいと思う。
国策として義勇軍の制度が閣議決定されたのわ昭和12年11月30日でありその時次の決定文を出している。
「{現下満州国の実情に鑑み速やかに多数運異本内地人を満州に移住定着せしむる要あるところ既定計画たる壮年の移民のみを以てしてわこの必要を満たすこと困難成るにつき。政府においては昭和13年より可及的多数の青年移民を実施してもって異常時局に対応するために昭和12年及び13年度追加予算に計上の方針を持って急速に具体案の作成に仂ること」


この閣議決定の前に義勇軍は関東軍によって北の守りの補助役として発足していた。昭和13年の発足以来20年前までに当時の国民学校高等科卒業の生徒(14~15歳)8万6530人が送り出された。特に長野県は全国一の多くの青年を送り出しその多くの命が失われた。なかでも昭和19年鍍満の中隊の犠牲者が多かった。両角、斉藤。頓所。

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