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昭和19年度長野県は3個中隊1000名の満蒙開拓青少年義勇軍訓練成を満州大陸へ送り出さすという目標の元に信濃教育会各都市教育会市町村関係者と協議して各都市に送出人員を割り当て志願者の募集を要請した。各町村においては国民学校長が責任者となり卒業学年の担任が中心となってもっぱら二男。三男の生徒を対象に本人やその家族を説得し割り当て人員の確保に努めた。私もその志願者の一人であった。
1日の授業が終わると担任の先生の呼ばれて「満蒙開拓青少年義勇軍は国家の要請である。この要請にこたえることは日本国民の栄誉であり義務である」と毎日のように説得された。当時の父も兄も教職にあり義勇軍の内容を知っていたようで猛反対された。特に母は私が気の毒になるほどに反対した。軍国主義一辺倒の時代私も軍国少年だった。自分に意志で志願したがあとになってみれば親不孝の極みであったと思う。志願者は同年3月国民学校卒業とともに故郷を後に内原訓練所に巣立った。義勇軍志願者の壮行はどこの市町村においても出征兵士並みに行われた。3月23日県主催の壮行会が城山国民学校の校庭で県知事出席のもと盛大に開催された。そしてこの日の夜行列車で茨城の内原訓練所に向かった。

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この記事へのコメント

QP先生
2018年04月27日 18:07
珍しく長い文章が載っているなと思って読みました。内容は戦時中の満蒙開拓青少年義勇軍のことだったので、昔観た映画を思い出しました。2014年12月18日に書いた「望郷の鐘~満州開拓団の落日~ 」という映画です。山田火砂子監督による映画です。内藤剛志さんが主役でした。国策というのは本当に怖いと思います。義勇軍としての心意気で応募した若者たちが、どんなに苦しい思いをして日本に戻ってきたのか。逃げる途中で亡くなった人もたくさんいました。私たちはこの歴史の真実を知らなければなりません。とくに若い人たちには伝えていかなければならないと心から思います。

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