その5

8月9日、この日から頓所中隊はじめ開拓団、民間人の悲劇が始まった。ソ連侵攻の前夜暗い空に飛行機が編隊を組んで南に向かっていた。それがソ連の爆撃機とは知る由もなかった。ソ連の侵攻が知らされたのは翌日の朝だった。その時は一時撤退のつもりで荷物をまとめて、それを残し、訓練所を後にして集結地の東安市に向かった。その日の夕暮れ、もうもうたる火炎に包まれた市街地が見えた。関東軍が撤退するにあたって、主要なところをすべて爆破したためであった。大勢の日本人が残っているのを知りながら。
 やむなく山中に入って約30日間、1200キロの道なき道を夜を日に継いで歩き続けた。その間の苦労は筆舌に尽くしがたいものであった。なかでも、われわれと行動を共にした開拓団の人たちは、悲惨の極みであった。開拓団の中心になっていた若者は、全員現地召集で関東軍の傘下に入り、残ったものは老人と女性、それに幼い子供たちだけだった。我々は少年と云えどもまだまだ身軽だったが、老人、児ずれの母親たちは、まさにこの世の地獄だった。
山中を彷徨すること約1か月、9月6日になってようやく敗戦を知った。みな疲労困憊、考える力も残っていなかった。我々は非戦闘員ということで、ソ連軍の手で東京城の収容所に入れられた。
 約1か月、収容所の生活を送ったが、10月12日、突然東京城収容所から解放され、朝鮮を目指して南下した。我々は知る由もなかったが朝鮮はまだ日本の領土だと思っていたから。収容所で動けなくなってやむを得ず現地の残してきたものも数名いた。

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